せんがまち写真展 準備中

11月 7th, 2009 投稿者:お茶芽
せんがまち写真展 展示作品

せんがまち写真展 展示作品

  せんがまち写真展を13日から15日までの3日間開催します。

時間は午前10時から午後の4時まで

上倉沢公会堂で展示させていただきます。

写真は菊川市文化協会の写真部の方々からお借りしたものと

昭和40年代のせんがまちの風景を撮影したものです。

見事な写真が多くありますので是非ご覧になってください

入場無料、どなたでも観覧できます、お気軽にお寄りください。

同時に、棚田米(もち米)の販売も行いますので

よろしかったらお買い求めください。

1升900円 5合500円で販売しております。

摩利支天のお祭り

11月 3rd, 2009 投稿者:お茶芽
摩利支天で焼き芋販売

摩利支天で焼き芋販売

 棚田を見降ろす高台に摩利支天が祭ってあるのを知っていますか。

毎年11月3日、この摩利支天の祭典があります。

祭り当番が甘酒を作り、青年の清風会が焼きそば、もつ煮込み

フランクフルト、焼き鳥などで盛り上げます。

10月の駒形神社の祭典は屋台を引き廻し賑やかですが

摩利支天の祭典は昔ながらで、のどかな雰囲気があります。

棚田女性部も今回は焼き芋で参加となりました。

焼き芋は子供たちにも喜ばれ女性部の部長さんもニコニコでした。

倉沢の「思い出米」でお赤飯

11月 2nd, 2009 投稿者:かず

思い出米 お赤飯

棚田のもち米で、お赤飯を炊きました。

梅が咲く時期の田起しから、雨の中の代掻き、真夏の草刈り、お手伝いしたのはほんの一部でしたが、倉沢の皆さんや、学生さんや、ボランティアの方々と、稲刈りまで参加できてよかったです。

お赤飯、思い出をかみしめながら美味しくいただきました。

楽しかったです。また遊びに行きます。

投稿者:かず

国文祭 参加しました。

11月 1st, 2009 投稿者:お茶芽
国文祭 参加の様子

国文祭 参加の様子

 昨日の ODORA THE菊川 に引き続き今日は国文祭に参加です。

NPO法人里山再生クラブの皆さんと同じブースで、棚田の写真の展示

もち米の販売をさせて頂きました。

多くの方が棚田のことを知っていてくれ、応援の言葉に感激しました。

お世話になった里山再生クラブの理事長様

写真の提供にご協力してくださった文化協会の会長様

ありがとうございました。

ODORA THE菊川 大盛況!!

10月 31st, 2009 投稿者:お茶芽
ODORA THE菊川

ODORA THE菊川

 棚田女性部、菊川市のイベント ODORA THE菊川に参加しました。

五平餅、赤飯、もち米販売と大忙しでした。

午後の2時には五平餅と赤飯が完売!!!

もはや名物となった棚田の五平餅は本格炭火焼、タレは最高の味です。

赤飯はその場で蒸籠(せいろ)で蒸し、その場でパック詰めしてホッカホカ。

もちろん、すべて棚田米を使っています。

次にこの味に会えるのは、11月15日河城地区センターで行われる

河城地区文化祭となります。

お近くの方は食べに来てくださいネ。

ハズも片付きました。

10月 27th, 2009 投稿者:お茶芽
ハズの片付け

ハズの片付け

 せんがまち の棚田は脱穀も終わり、稲を天日干しにした時に使った 

ハズ も片付けました。来年も使うため、しっかりトタンの屋根をかぶせます。

他の地域では ハザ ハサ とも言われているようです。

せんがまち では横に1段で稲を掛けていきますが

3段掛けや5段掛けまであるようです。

やはり、狭く高低差のある棚田では高く稲を掛けるのは

難しいからでしょうか? 横1段しかつくられません。

馬頭観音|河城 名所・人物100選より

10月 24th, 2009 投稿者:棚田メンバー

馬頭観音

馬の頭をのせた、駒場の里の馬頭観音様

むかし、倉沢地区は駒場の里といって馬を多く育てていました。今のように車のなかったころ、馬は人や荷物を運ぶ大切な動物だったのです。
この大切な馬が突然倒れて死んでしまった場所に置かれたのが、頭の上に馬の頭をのせているお地蔵様、「馬頭観音」です。

馬頭観音

倉沢地区には7体の馬頭観音があります。今では人も車も通らない昔の道にひっそりと立つものや、いろいろなご利益があるといわれて立派なお堂の中に立っていて、遠くからもおまいりに来るという馬頭観音もあります。
みなさんも馬頭観音を見つけたら手を合わせてお参りしてみてください。

馬頭観音の言い伝え

「なぜお馬さんが突然死んでしまうの?」「それはね、山の中には時々、人には見えない穴があるんだ。その穴は別の世界につながっているんだよ。別の世界というのは死後の世界だったり、過去や未来だったり、地獄や天国、どこにつながっているかわからないんだ。そしてその穴をふさぐことができるのは、生き物の命だけなんだ。どこに穴があるのか、人にはわからないけど馬にはわかる。馬は気がついて(わあ、この人は気がつかないんだな、この人がこの穴に落ちたらどうしよう)と思い、自分の命でその穴をふさぐんだ。人は、馬が死んだからそこに穴があったことに気がついて、馬への感謝の気持ちを込めて観音様を置くんだよ。」

(出所 : 『河城 名所・人物100選』 p.46 「37 馬頭観音」 より)

投稿者:しずまち

菊川・菊川改修工事|河城 名所・人物100選より

10月 23rd, 2009 投稿者:棚田メンバー

菊川・菊川改修工事|河城 名所・人物100選より

鉄道開通のために、川の流れを変える工事

明治22年、今から百年以上も前に、東海道本線が開通しました。当時、金谷から掛川間は、どこに鉄道を通すかということが問題になりました。候補としては、日本坂新道沿いコース、火剣山コース、菊川水流沿いコース、菊川河口の渡し・牧之原南端コースの4つのコースがあげられました。話し合いの結果、曲線が多く鉄道としては、きついカーブになるけれど、勾配がゆるやかで、トンネルの長さを短くできるとして、菊川水流沿いのコースに決まりました。
金谷から堀之内(現在の菊川駅付近)の間には、菊川がありました。菊川はときどき氾濫を起こして下流の人々を困らせるほどでした。そこで鉄橋を作っても川が氾濫して列車が通れなくならないように、川の流れを変えたのです。下倉沢の地先付近の大カーブのところで、菊川河川敷を延長150mおよび350mの2区間にわたってつけ替えたのです。堤防をつくったり、地面を掘ったりして、川の流れを変えました。出てくる土も多かったので、工事は大変でした。河川改修の工事を終えて、やっとの思いで線路敷きを取り付けることができたのです。
東海道本線の通る菊川町は、発展していきました。

(出所 : 『河城 名所・人物100選』 p.45 「36 菊川・菊川改修工事」 より)

投稿者:しずまち

千框(棚田)|河城 名所・人物100選より

10月 22nd, 2009 投稿者:棚田メンバー

千框(棚田)|河城 名所・人物100選より

美しい日本の原風景を文化として残そう

お米は日本人の主食、昔は鍬で耕し、一株一株手で植えて鎌で刈り取られていました。上倉沢の千框では今でもそんな昔ながらの米作りをしています。
上倉沢の千框は、面積約10haで、田んぼの枚数は約2,700枚、戦国時代から江戸時代始めには盛んに耕作されていたと思われます。標高差約60m、牧之原台地の西の斜面を利用し、大小さまざまな田んぼが作られています。小さな物は畳半分位の物もあります。
私達の祖先が、地すべり地帯という悪い条件の土地を開墾し、わずかな平地を作って水を引き、畦を作って、何百年という気の遠くなるような年月と、想像を絶するような努力によって、一枚一枚築き上げた歴史的な文化遺産だと思います。
棚田は役立っています。大雨の時はダムの役目、又自然環境保護の役目、カエルやイモリ、トンボ、タニシ、ザリガニとたくさんの生物を育てています。野鳥もやってきます。
私達の祖先が汗を流し、苦労して残してくれた棚田、美しい日本の原風景を文化としていつまでも伝えていきたいと、上倉沢棚田保全推進委員会によって保存活動が行われています。
皆さんも是非、田植、稲刈りに参加し、汗を流してみてください。

(出所 : 『河城 名所・人物100選』 p.12 「3 千框(棚田)」 より)

投稿者:しずまち

脱穀作業終わりました。

10月 20th, 2009 投稿者:お茶芽
脱穀作業

脱穀作業

  19日に、脱穀作業が終了しました。

ハズ に掛けられていた稲を脱穀機を使って稲から籾(モミ)をわけます。

ライスセンターで籾殻(モミガラ)を取り玄米の状態にし

精米をすると白米となります。 

画像は今日、委員長ご夫妻の脱穀作業中を撮らせていただきました。

場所は田植えの日、愛育保育園と堀之内幼稚園の皆さんが

泥んこ遊びをした田んぼです。

きっとおいしいお米になってますヨ。