
摩利支天の祭り
せんがまちの守り神摩利支天の祭りが始まりました。
きれいな秋空の下
神主の祝詞(ノリト)が高らかに響きます。
摩利支天の祝詞が終わると次は金毘羅様の所に移動します。

せんがまちは今日も小雨が降っています。
そんな中11月3日に行われる摩利支天のお祭り準備のために
私たちNPOのメンバーでもある宇野さん夫婦が草刈りをしてくれました。
お祭りには甘酒のほか地元青年が色々な催しを考えてくれています。つい先ごろ駒形神社の祭典があったばかりなのに今度は摩利支天の祭り?
棚田の守り神ということで摩利支天は別格となっているんでしょうね。
摩利支天は昔、武士の間で流行し楠正成、山本寛助、前田利家など有名な武士が信仰したことで有名です。
私たちの先祖も戦に敗れこの地に住み着き摩利支天を祭ったのでしょうか。
今では棚田の守り神としていつも棚田を見下ろし目木沢の堤防が破れないように私たちを守っています。
摩利支天はせんがまちのパワースポットとしてこれからも大切に祭られていくことでしょう。
投稿者 お茶芽

今日は祭り二日目、屋台がせんがまちを巡ります。
静かな棚田に笛や太鼓、若者の掛け声が山々に木霊し
里山が俄かに活気づきます。
祭りが終わり家に帰ってブログを書いている今もお囃子の音が耳に残っているようです。
明日は脱穀です!
お祭りの疲れが抜けていないかも・・・・
少々心配な地元メンバーをお手伝い頂ける方は朝9時には公会堂前にお集まりください。
投稿者 お茶芽

「菊川町土地宝典」(昭和60年発行)で、せんがまちの地目地図を見せてもらいました。
棚田にもちゃんと地番がついているのですが、こんな複雑な土地を地番で分けて図にするのは大変だったと思います。
上の写真の指を指しているあたりが、せんがまち看板のところです。

投稿者:かず

田の神を迎える田打講
1月11日は田打講(たぶちこう)の日です。
秋の収穫が終わり山に帰った田んぼの神様を迎え
今年の豊作を祈る祭事です。
まだ日の出前の薄暗がりの中、鍬で3か所土を盛りススキに御幣を付け松や榊、餅に米などで祭ります。
せんがまちでは毎年委員長が代表でお祭りしますが昔はどこの家でもしていたそうです。
今年も豊作でありますよう田んぼの神様お願いします。

むかし、倉沢地区は駒場の里といって馬を多く育てていました。今のように車のなかったころ、馬は人や荷物を運ぶ大切な動物だったのです。
この大切な馬が突然倒れて死んでしまった場所に置かれたのが、頭の上に馬の頭をのせているお地蔵様、「馬頭観音」です。

倉沢地区には7体の馬頭観音があります。今では人も車も通らない昔の道にひっそりと立つものや、いろいろなご利益があるといわれて立派なお堂の中に立っていて、遠くからもおまいりに来るという馬頭観音もあります。
みなさんも馬頭観音を見つけたら手を合わせてお参りしてみてください。
「なぜお馬さんが突然死んでしまうの?」「それはね、山の中には時々、人には見えない穴があるんだ。その穴は別の世界につながっているんだよ。別の世界というのは死後の世界だったり、過去や未来だったり、地獄や天国、どこにつながっているかわからないんだ。そしてその穴をふさぐことができるのは、生き物の命だけなんだ。どこに穴があるのか、人にはわからないけど馬にはわかる。馬は気がついて(わあ、この人は気がつかないんだな、この人がこの穴に落ちたらどうしよう)と思い、自分の命でその穴をふさぐんだ。人は、馬が死んだからそこに穴があったことに気がついて、馬への感謝の気持ちを込めて観音様を置くんだよ。」
(出所 : 『河城 名所・人物100選』 p.46 「37 馬頭観音」 より)
投稿者:しずまち

明治22年、今から百年以上も前に、東海道本線が開通しました。当時、金谷から掛川間は、どこに鉄道を通すかということが問題になりました。候補としては、日本坂新道沿いコース、火剣山コース、菊川水流沿いコース、菊川河口の渡し・牧之原南端コースの4つのコースがあげられました。話し合いの結果、曲線が多く鉄道としては、きついカーブになるけれど、勾配がゆるやかで、トンネルの長さを短くできるとして、菊川水流沿いのコースに決まりました。
金谷から堀之内(現在の菊川駅付近)の間には、菊川がありました。菊川はときどき氾濫を起こして下流の人々を困らせるほどでした。そこで鉄橋を作っても川が氾濫して列車が通れなくならないように、川の流れを変えたのです。下倉沢の地先付近の大カーブのところで、菊川河川敷を延長150mおよび350mの2区間にわたってつけ替えたのです。堤防をつくったり、地面を掘ったりして、川の流れを変えました。出てくる土も多かったので、工事は大変でした。河川改修の工事を終えて、やっとの思いで線路敷きを取り付けることができたのです。
東海道本線の通る菊川町は、発展していきました。
(出所 : 『河城 名所・人物100選』 p.45 「36 菊川・菊川改修工事」 より)
投稿者:しずまち

お米は日本人の主食、昔は鍬で耕し、一株一株手で植えて鎌で刈り取られていました。上倉沢の千框では今でもそんな昔ながらの米作りをしています。
上倉沢の千框は、面積約10haで、田んぼの枚数は約2,700枚、戦国時代から江戸時代始めには盛んに耕作されていたと思われます。標高差約60m、牧之原台地の西の斜面を利用し、大小さまざまな田んぼが作られています。小さな物は畳半分位の物もあります。
私達の祖先が、地すべり地帯という悪い条件の土地を開墾し、わずかな平地を作って水を引き、畦を作って、何百年という気の遠くなるような年月と、想像を絶するような努力によって、一枚一枚築き上げた歴史的な文化遺産だと思います。
棚田は役立っています。大雨の時はダムの役目、又自然環境保護の役目、カエルやイモリ、トンボ、タニシ、ザリガニとたくさんの生物を育てています。野鳥もやってきます。
私達の祖先が汗を流し、苦労して残してくれた棚田、美しい日本の原風景を文化としていつまでも伝えていきたいと、上倉沢棚田保全推進委員会によって保存活動が行われています。
皆さんも是非、田植、稲刈りに参加し、汗を流してみてください。
(出所 : 『河城 名所・人物100選』 p.12 「3 千框(棚田)」 より)
投稿者:しずまち

せんがまち を目指して
上倉沢の秋祭り2日目、屋台は せんがまち を目指して
急な坂道を登ります。
昨日は雨の中、屋台の引き廻しをしましたが、今日は秋晴れ!
眩しいくらいの青空の下、太鼓や笛のお囃子と、元気な若者の声が
せんがまち に響きました。